※以下はリチャード・ストールマンのWikipedia記事からリンクされている、ウェブアーカイブス上のインタビュー記事。途中で途切れている。Lispとはテーマが違うので、後で他のブログに移すこと。
――GNU(グヌー)プロジェクトの製品はEmacsエディタからHURDみたいなOSからGNU StepみたいなGUIからいろいろありますよね。
まずその「製品」(product)という表現は、暗黙の前提を含んでいるので気をつけて。製品って、売るために作られるものだよね。ソフト会社は、コピーを売るためにソフトを書く。だからそれは製品。ぼくたちは、ソフトを書くためにコピーを売る。そこにちがいがある。
GNUは、一部はFSFで書いている。フルタイムのプログラマがいるから。でもボランティアによる部分もかなりある。ちなみに、ぼくもボランティアだよ。FSFの会長だけれど、FSFからは一銭も受け取っていない。みんなにお手本を示す意味もあるし、あと寄付を求めるに際しても、私利私欲でやっているんじゃないことがわかってもらえるだろう。
――最近登場したカーネルのHURDは、当初考えていた先進性を実現できていると思いますか。
いや、まず「当初」考えていたのは、そんな技術先進性じゃない。それもGNUに対するよくある誤解。GNUの目的は、社会の進歩なんだ。ソフト利用者の自由の拡張ってこと。もちろんぼくはハッカーだから、いいシステムは作りたい。でも、GNUはまず何よりも、独占ソフトをいっさい使わずにコンピュータを動かすためのものなんだよ。そうすれば、まっとうな人生が送れる、つまり他人と協力して生きることができるから。独占ソフトは、コピーさせない、協力させないってことだから。
ただしHurdの場合その過程でいくつかぼくらのアイデアも入れたし、先進性も狙った。それは今でも十分有効で先進的だと思うけどね。クリーンで強力な設計になってる。
――あなたは主にどこに関わってるんですか。今でもコーディングするんですか。
するよ。ほとんどEmacs。コーディングもやるよ。今は主にデバッグだけど。もうすぐ電総研の半田氏のコードが入ったEmacs20がリリースされるよ。
――で、あなたの独占商業ソフトとフリー……
いやちょっと待って、その「独占」と「商業」ってのは全然ちがう概念だってことに注意して。「商業」は金銭的な話。「独占」というのは、ユーザに許されている行動の話。ソースが公開されていること、変更が認められること、コピーが許されること。それがなければ独占ソフトで、フリーソフトとは相反する。一方で商業ソフトとフリーソフトは相反しない。
――フリーソフトで商業ソフトなんてあるんですか。
たとえばGNU Ada。この開発は企業として行われているから商業ソフトだけれど、でもGPLのもとで公開されているからフリーソフト。かれらはそのサポート契約で収益をあげている。あるいはFSFだってソフトを売っている。
――うーん、インターネットから無料でコピーできるソフトをCD-ROMで買う場合、それはそのソフトじゃなくて、配布の手間や流通に対して金を出してるんじゃないんですか。
いや、それはおもしろくもない疑問だよ。もっと現実の帰結を見なきゃ。CD-ROMはCD-ROMだし、それを入手するのに金を払ったら、それはそのソフト、流通云々を含めたすべてに金を払っているわけだろう。問題は、それを買ってからユーザが何をしていいかってことだ。
――そしてあなたは、あらゆるソフトがフリーソフトであるべきだという立場ですね。しかしそれって現実的ですか? 独占ソフトとして収益をある程度保証してインセンティブをつけないと書かれないソフトってあるでしょう。
その質問は、フリーソフトだろうと独占ソフトだろうと、ある機能を果たすソフトが供給される限り何ら差はないという前提にたっている。でも、それはぼくの目標ではない。技術的な進歩より、自分の人生にどれだけ自由があるかが重要だ。強力なソフトができたって、それを使うときに鎖でしばられるんじゃ意味はないんだ。だからそんな独占ソフトが書かれなくったって、僕は別にかまわない。
――うーん……フリーソフト的な考えって、どこまで拡大できるんでしょう。音楽や文章、あるいは場合によっては物理的実体にまで適用可能と思いますか。
まず物理的実体については、話がちがう。自由に複製できないし。それに物理的実体があれば、多くの場合は自分でいくらでも改変できるよね。
音楽や文なんかについては、ある程度適用できる(ただしソフトとは使われかたがちがうから性格も異なるけど)。
社会として考えるべきなのは、音楽や著作で生計をたてられる人を増やすことだ。その手段が、著作権だよね。でもこれは非常に効率が悪い。音楽家の多くはレコードを出しても全然金が入ってこないようになってる。そのうえ、利用者のコピーの自由も奪う。最近、一部のアーティストが音楽をインターネット上で公開して、コピー自由にした。そのうえで、ネット上で直接自分のCDを売っている。GPLの音楽版だよね。これだと、今のレコード会社との契約より販売枚数は減っても、手元に入る金額は増える。
本でもあるよ。だれかがコンピュータの教科書を書いて、ネット上においてコピー自由にした。そのうえで、気に入ったら金を送ってくれという方式にしたら、それでかなりの金が送られてきたんだって。つまり著作権を含め、強制的に支払いを求めるような方式は不要なんじゃないか。自発的な支払いだけで十分じゃないかってことだよね。
――それってみんなの良心と正直さに依存したシステムですよね。でも多くの社会システムは、不信を前提にしているんじゃないですか。
ナンセンス!! あらゆる社会は信頼を前提にしているんだ。人が殺人したり泥棒したりしないのは、法律で禁止されてるからじゃない。信頼が基本で、それ以外はすべて例外的な状況なんだ!
独占ソフトは人間の利己心をあおる。もちろん人間には利己的な面はあるけれど、ビジネスは、それが人間の唯一の面だという。でたらめだね。フリーソフトは、利己心を捨て去れとは言わない。ただ、それを発現する時に他人の自由を犠牲にしないでとは言う。愛他心や親切を強要しない。でもきみだってたまには友達を助けたいと思うだろう。独占ソフトは、それを禁じてしまうから悪なんだ。
――ふーん。じゃあ海賊コピーなんかはどう思いますか。
その「海賊」コピーという表現は使いたくない。プロパガンダだから。ソフトのコピーと共有は悪いことじゃない。政府がそれを禁止する法律をつくったって、それは「違法」というだけで悪ではないんだ。
で、その非合法コピーは、特にいいことだとは思わない。まずこっそりやらなきゃならないし、自分で変更したりできないし、ソースもない。独占ソフトと大差ない。唯一いいのは、作者に金がいかないってことだね。独占ソフトを書くようなヤツに、金を受け取る資格なんかないんだから。
――(!!すごいこと言うなあ)えーと、あなたの考えってかなり極端ですよねえ。それが受け入れられ……
(さえぎる)言ってる意味がよくわかんないな。どこが極端? 極端って、無理だっていうことでしょ? ぼくはすでにこれを15年もやっておるのよ。実行可能であることは実証したし、支持者も増えている。
ウェブアーカイブスに残っているのはここまで。
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